“Be!”の考え方
だれがきてもいいよ。
学校に行きたくない、行きたいと思っても体が動かない、
家にこもっている・・・そんな子どもたちや若者たち
そしてそれを支える大人の人たちが出会い、ほっとしたり、
元気をもらったりできる場として始めたのです。
でも、今はその他に、学校に行っているけど、
他にも居場所が欲しい人、少し心や体が病気の人、
いろんな形で生きていくのが大変だと感じている人、
そしてちょっとお茶を飲んで一休みしたい人もやってきます。
年齢も子ども、20代や30代の若者からおじさん、
おばさん、お年よりまでいろいろ。この場を必要とするひとなら、
だれがきてもいいのです。
「社会適応」を応援するわけじゃない。
周りの大人は早く学校に戻ればいい、
早く一人前の社会人になって欲しいと思いがちですが、
“Be!”はそういった
「社会適応」を応援しようとしているわけではありません。
学校や社会でうまくやる力を
早く身につけなけれがならないと思い込むことで、
かえって他の人々と気持ちよく出会ったり、
いっしょにいることが難しくなることも多いものです。
それよりは、今の自分がどんな自分なのか知って、
それを受け取ろうとすることの方が大切かも・・・。
そんな作業をいっしょにゆっくりとやっていければいいと願っています。

「自分自身になること」を応援するよ。
他の人だけでなく自分自身ともどう付き合っていいか
分からず混乱している人でも、
その人の中には必ず「自分はこんな風に生きていきたい。」
「こんな自分になりたい。」という願いのようなものが
ひそやかに芽吹いているはず。
まわりの雑音にかき消されることの多いその願いに耳を傾け、
小さな声を聞き取り、じっくりと目に見えるかたちに
育ててやりましょう。気長に、あきらめずに・・・。
“Be!”は、どこかのだれかになろうとするのではなく、
自分自身になっていくあなたを応援します。

助けることで助けられる。
いろんな人が来ているということは、
お互いがちがっているということ。
“Be!”は「ちがい」が出会う場なのです。
スタッフもいるけれど、ここには助けるだけの人、
助けられるだけの人はいません。
だれもがだれかを助け、
だれかから助けられる関係にあります。
お互いがちがっているからこそ、それは可能なのです。
お互いがジグソーパズルのピースのように、
お互いの凸と凹を補い合いながら、1つの絵を作り上げられれ ばいい。
一人でガンバロウとしないで! 
自分の苦手は、安心して他の人に委ねてしまう。
そんなお互いでいたいですね。

一番分かち合いたいのは
「あなたの今のありのままでいいんだよ。」
というメッセージ。

いのちはなかなか不思議なものです。
不器用で、下手で、弱虫で・・・。
付き合いにくい自分だけれど、
そんな自分から出発しましょう。
今の自分以外のものに急いでなろうとすると、
どうやらいのちの動きは立ち往生してしまうのです。
それより、今の自分のありのままを
じっくり味わっている方がいいみたい。
「ふーん、今の自分はこんな自分なんだ。」
と感じていると、いのちの力が動き出して、
じんわり何かが起こってくる。
あなたはそんないのちの不思議を信じますか?
“Be!”とは、「あなたの今のありのままでいてね。」
というメッセージなのです。


2007年4月発行の通信から

求められる支援とは

 前号の通信で、内閣府の「青年の社会的自立モデルプログラムの開発事業」を委託されている青少年育成協議会による聞き取り調査を受けたとお知らせしましたが、それがまとめられ、全国の青少年団体へ送られるそうです。同様の内容が、文部科学省の「不登校への対応におけるNPO等の活用に関する実践研究事業」の報告書にも盛り込まれ、一般配布もされるとのこと。すべて、YMCAのオープンスペース「リビー」の秋田さんのお計らいです。
 全国にはいろいろな立場、ウエイトの置き方で、青少年に関わっている団体はたくさんあることでしょうが、縁あって、私たちのような小さな団体が大切にしてきたことに注目し、そこにスポットライトをあてていただいたことは、長年の活動に対してとてもありがたい励ましになりました。 さて、どんな点がとりあげられたのでしょう? 報告書は三つの団体への聞き取りを元にまとめられていますが、以下、“Be!”についてまとめられた部分のみ抜き書いてみました。ここから、私たちの今までを読み取り、今後の活動が展望できるのではないでしょうか? みなさんも、ご意見をお寄せ下さい。

中小規模フリースペースの若者支援活動の有効性について

●生活が活動の中心
「家庭的で、生活を基盤にしている場」であること。こぢんまりとしたスペースでの活動のため、いやが上でも、人と人同士向かい合わざるを得ない生活環境となり、出会いや気づきもあれば、こすれあいも起こる。そこで人との関係を学んでいくこととなる。

●生活の中での言葉
「食事を作り食べる場面などにおいて、生活を共にしていると、言葉を交わしているだけでは分からない彼らの生活文化、背景についての様々な発見がある。言葉だけのやり取りでは、人を理解するには限界がある。自分の抱えている困難を把握しかねているこうした青年たちを理解する上で、彼らの人物像を、生活を通して複眼的にとらえようとすることは重要なアプローチであると思われる。
 彼らの話を一対一でじっくり聴く時間も大切にしているが、その中では彼らの表現する言葉だけではなく、生活を共有する時間の中でつかんでいるものが、彼らの言葉を補う聞き手の想像力を支えることになる。また、ただ耳を傾けるだけではなく、必要に応じてこちらから提案となる言葉かけをするときにも、それがより的を得たものなるための助けになる。」これは大変重要な指摘と思われる。
 「言葉」というのは、その人その人の概念を伴った記号だ。人は周りに対して好印象を持ってもらいたい、というのが常で、通常は「言葉」を着飾り、相手に合わせて「言葉」を使い分ける。私たちが彼らに関わるときには、その記号化された「言葉」の背景にあるものを類推し、それに合わせてこちらが対応することが大切で、それが相互の信頼や彼らの場での安心感につながっていく。生活を共有することは、その生活を通して彼らは様々な類推する材料を提供してくれることになり、相互理解をより早く推し進める効果は絶大。

●プログラム
 プログラムはひとつの「手段」に過ぎず、それを達成することが「目的」の全てではない、ということだ。つまり“Be!”を例に書けば、「食事共にする」プログラムの目的の中心はただ「調理をし、食事をすること」ではない。「共に食事を作り、食べることを通して起こるお互いへの気づき、食材の生産流通過程や環境、気象、ひいては社会の発見、作業や食事をしながら起こるそれぞれの心の動きも含めた様々な出来事のすべて」が重要なのだ。
 ただし−「目的」を得るために「手段」である「食事」がどうでもいいというつもりはない。こうした青年たちの場合、様々な家庭環境に置かれていることが多く、ここでの「食事」が最大の栄養源となるという現実もある。また、家庭において家族と豊かな食事の時を共にした経験が乏しい人も少なくないので、スペースにおける「楽しく、おいしい食事」それ自体が、彼らにとってとても魅力的で、不可欠な体験の機会になる。

●存在を許される場
 多くの機関は、「***病だから、それが直らないと駄目だ」とか、「きみのこういう行動が修正されないとここには来てはいけない」という感じで、常に青年たちに対して「矯正」を求め、それを条件に受け入れるというところが多い。ところがここでは、その人に矯正を求めることは条件とせず、まずその人の存在をそのままの存在として包み込み、それから考えていこうとしている。こうした向かい方をしているからこそ、本人が抱えている本当の困難に出会い、それを共有することも可能となり、本人なりの問題解決法の獲得につながっている。ただしこういう考え方は、恐らく福祉や医療、保健の現場では一般的ではなく、逆に理解されにくい側面があろう。

●支援の方法
 “Be!”では、「当初は、自分の困難の姿がよくわからない。それがつかめてくるのが第一段階。(援助者たちとの共同作業の中で、見えるようになってくる。)そうすると、その人が開けてきて、自分の困難と付き合う方法がわかり、他のことも受け入れやすくなっていく。」という。困難を克服する方法や能力は自己の中にあり、今まで顕在化しなかったものが顕在化し、それに付き合っていこうということに重点を置いている。

●問題解決のプロセス
 “Be!”では、「こだわりはこだわりのままでいい、と考えている。一緒に生活しつつ、観察し、その姿や特徴をつかんで対応してゆけばよい。そのうちに安心感の中でこだわりがゆるみ、『これもありか』と理解する。こだわりが身を守るすべになっていることもある。その背景をよく理解して対応する必要がある。」と指摘する。このようなアプローチの成果は「外ではストレスでトラブル多い青年も、このような安心した場だとトラブルになることが少ない。」という事実に現れている。また、「青年と援助者の付き合いの長さで言い方も変わる。基本は、一人ひとりを尊重し、時間をかけて待つ、ということ。」とも指摘する。

●ルールと問題行動
 場から本人に対して要求されるものが、学校や医療機関、福祉の現場と比べると、極端に少なく、ほぼルールはないに等しい。問題行動や、場を乱す行為も、個人の問題に帰着させるのではなく、場としてそうした行為をどうやって受け止めていけるか、という問題として考えられている。その上で「その『起こった出来事』について、時間の経過の中でさりげなく話をしながら整理していく。その時点でまだ触れない方がいい部分には触れず、適切な時が来るまで、それを本人の課題とさせることを控えることもある。こうしたプロセスを経ていくことで、青年の中にトラブルがひとつの経験へと変わっていく。

●関わる側の問題
 また“Be!”は、「感性のあるスタッフが青年たちと関わることが大切なのでは?『アンテナ』を育てる必要、そしてそのキャッチしたものを青年たちにうまくフィードバックすることが求められる。」と指摘する。そこで起こる問題の原因をその青年だけに帰着させず、それを受け止める側も含めて考えようとしているところが、新しい視点だ。“Be!”ではスタッフを含めたサポーター育ての研修をここ数年の重要課題として積み重ねている。この研修システムが作り上げられたとすると、大変価値のあるものになると思う。

●自立についての考え方
  「自立」でイメージされることは、経済活動が自分でできることや、自活できること、家賃まで賄える賃金を得ること、などが多い。しかしこれは、昨今の雇用を含めた社会情勢からすると、彼らにとっては大変高いハードルであると思われるし、また、本来は彼らの問題ではなく、高齢化で資産の相続が次の世代に行なわれなかったり、雇用政策の問題であったりすることもある。こうした状況の中で、今の自己の存在に対して肯定感の持てない青年たちに対して「自立」を求めても、「自立」できない自分は、駄目だという結論を導き出してしまい、ますます自分を追い込んでしまうことにつながっていくと思われる。“Be!”も「『自立を支援する』という方向を持ったところは、青年が主体的に参加してくる可能性は乏しいと思われる。」と指摘している。
 本来、「幸せの形」や、「生き方の形」といわれるものは個別であり、国家がそのレールを引くものではない。これだけ価値観が多様化した現代においては、それがさらに顕著である。つまり、私たちは、「自立」を「自己充足」と置き換え、自分が自分で満足ができる生き方をその方向性の中におくべきであろう。そして自分が行きたい方向にいけない、あるいは、考えていることが実現できない、そうした青年たちの抱く課題を自分の足元の中で受け止め、試行錯誤する状況を温かく見守っていくことこそ、私たち大人に課せられた支援の課題であろう。

●課題
 (問題の解決には、長期の緩やかな取り組みが求められるが、)この世代の青年層から多額の費用を(長期に)負担してもらうことは困難で、主宰者のボランティア的精神により支えられている。民間助成金でつないでいるところはあるが、こうした資金は立ち上げ時の助成が多く、継続的な活動支援には対応していないものが多い。公的資金、また、寄付文化の育成なども含め、こうした活動を支える社会としての仕組みづくりと(基礎的な財政援助)が急務である

※きき取り調査は、佐藤が受け、秋田さんがリビーを含む3つの団体の活動を文章にまとめてくださいました。ここにはその中から、“Be!”についての部分のみ抜き出して掲載しました。お断りしておきます。

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